流星の曲がり角

流星とは本来曲がるはずのないもの。それが曲がるって事はつまりブラックホールだよねコレ

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努力の価値は

かなり鬱な内容ですので、ご注意をば。
あとかなり自己中な内容です。かなり自分の過去に触れてます。
頭痛いです。色んな意味で。

だからその前にコメント返信。




>いのすけさん
了解です。リンク追加しておきます。







何故人は努力するか?
答えは簡単で、やる気があるからだ。
んじゃやる気って何さ?
これも簡単で、やる気を出すだけのリターンがあるからだ。
んじゃやる気を出すだけのリターンがなければどうなる?
愚問すぎるが、強いて言えば努力しないか適当になるかだ。

根源にあるのはやはり「やるだけの価値があるかどうか」。
それは個人レベルで意味が異なってくるし、明確な解は存在しない。
ただ、そこに価値を見出すからこそ、人は努力する。
それが未来の自分だったり、物欲的なものだったり、精神的なものだったり。
まぁ、リターンの形は自由だ。

が、人からみて「努力」ってどう映るのか?
おそらく大半の人間が「必死こいて頑張ってる」姿だろう。
ありとあらゆる手段を駆使して、結果を求める姿。
それが「努力している」と認められる姿なのだろう。

しかし本人はどうだろう? 結果が欲しいから過程があるのであって、結果が伴わなければ意味がない。
いや、意味がなくはないんだ。その経験を活かして次に結果を得られれば良い。
あぁ、だがそれはたった一度きりのチャンスだったんだ。ならその過程は報われない。意味がない。

幾ら頑張っても報われない、過程が何かを代償にして補完できるものならば、尚更意味がない。
「その時頑張って報われる」事に意味があるんだから。
だから結果と過程が一つの糸で繋がってこそ意味がある。
過程が結果に直結しないのならば、それに意味はない。
だって積み重ねるだけ無駄なのだから。その時すべき事ではないのだから。


結果がわかっている。
報われないとわかっている。
ならその結果になるとわかっていて、努力する意味があるのだろうか。
やる気なんて初めからない。リターンなんてむしろマイナスにしかなっていない。
欲しいものは手に入らない。
過程は報われないから意味がない。
次に活かせど、次があるのかどうかもわからない。
それは経験値にすらなりえない。


あぁ、確かに過程は辛かった。
しかし得るものはあったし、それなりに良かったかもしれない。

けど一番欲しかったものは?
それを置き去りにして行くだけの価値が、過程にあったのか。

否、そんなものなかった。
欲しかったのは結果で、過程などでは断じてない。
チャンスは一度きり。ならばこそ、結果を伴わなければならなかった。
何がなんでも、その結果を形として残さなければならなかった。
だから必死だった。努力した。今までで一番努力した。断言する。
あれほどの努力、後にも先にもあの一度だけ。

けど駄目だった。
否、マイナスであれ結果と言う形があれば良かったのだ。しかし、形すらなかった。
結果の形すら出ない過程に意味なんてあるはずがない。
報われなかったのなら良い。
けど、結果を出す機会を奪われ、何も残せなかった。

そらみろ、痛い目にあったのは自分だけ。
だって結局独り善がりでしかなかったのだ。
恩返しをしようにも、それ以外の手段を思いつかなかった。
だから勝手に努力して、勝手に失敗した。
きちんと機会が与えられたなら、絶対に成功させれた自信がある。
けど、機会すら奪われた。どうしようもない。

ただ残したかっただけなのに。
それすら出来なかったなんて、なんて無様極まりない。

運動は出来ないし、理論だってさっぱりだ。
体格だって骨と皮みたいなもんだし、特技だって自分より上の人間は沢山いる。

だけど、境遇だけは違った。
境遇が違って、だからでこそ、そこに意味を、リターン見出した。やる気を出した、努力した。

何度も褒められた。
あんなに褒められたのは初めてで嬉しかった。だからそれを糧にもっと頑張った。
確実に結果が見えてきた。ゴールが見えたのだ。だからもっともっと頑張った。
誰より努力したと自負するくらい自信に満ちた自分は初めてだった。もっと満たされたいと思った。
だけどそれは副産物で、やっぱりどうでも良かった。
成績が良いと言われた。どうでも良かった。欲しいのは数値じゃない。「結果」が欲しいのだ。

当日。
何故か自室の天井を見上げてる自分がいた。
訳がわからなかった。
理解不能だった。
意味不明だ。
夢なら醒めて欲しかった。
頭の中なんて真っ白で、今まで積み重ねてきたものの無意味さを知らされた。

たった一度の挫折は、他人から見ればただの挫折で、自分から見て挫折ですらなかった。
だって「失敗した」と言う結果すら出なかったのだ。
だから挫折なんてもんじゃない。意味がなかったのだ。やる気なんて出すべきじゃなかった。

結果に勝る褒美がどこにあるのか。
過程が完全に無意味だった訳じゃない。けど、結果が何より欲しかった。
結果が欲しかったから頑張ったのだ。過程なんかどうでも良かった。

過程は一点の曇もなかった。今でも自慢できるくらい頑張っていた。
けど、結果は結果と言う形ですらなかった。


つまり、それが自分を変える発端だった。

僕にとっての努力は「日々の積み重ね」以外の意味を持たない。
局地的に努力するのなんて無駄で無意味、無価値だ。
でもそれは個人の価値観であって、強制するようなもんでも、強制されたもんでもない。

けど、何故か努力を止めない。
だからまた結果がない。形すらないものを見て、また絶望する。
それを延々と繰り返すだけ。それが今の自分。

変えたいとは思う。
けど変わらない自分を見て絶望する。
だから足掻いている。けどまだ変わらない。変われない。


自分が変わるまで、あと何回絶望すれば良い?
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