流星の曲がり角

流星とは本来曲がるはずのないもの。それが曲がるって事はつまりブラックホールだよねコレ

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いつも思う

こういう事件を知る度にいつも思うのだが、この手の害悪をいかなる理由があろうと生かしておく事は社会に住まう大多数の人々を危険に晒す行いではないのだろうかと。

ちょいと前にあった光市母子殺害事件やバラバラ殺人。
あんな事をする人間が更正するとは思えないとか言う以前に、恐ろしすぎてそんな奴が闊歩している社会なんぞに出て行きたくはない。
皆平等にリスクを負うと言えば聞こえは良いが、結局それは理不尽に対して抗わない惰弱な考えだと思わざるを得ない。

法律やら刑法やらと言うのは社会の秩序を保つ為にある。
社会の秩序って奴は大多数の人々の安全を前提としたものであり、それを脅かす者、ルールから逸脱した者は退場していただくのが自然な流れであると思う。
死刑反対だとか抜かす連中はそういった部分を理解した上で、害悪を生かす事の意味を理解した上で言っているのか。
温情だとかならほぼ間違いなく平和ボケ以外何物でもなく、害悪諸共死に絶えてくれ。それが社会に生きる大多数の為だ。




とかちょいと危険な事を書いてみたが、正直どうなんだろうな。
本音としては上記の通り、大多数に対してしかもほぼ無差別の殺傷を行うような輩はきちんと処理して欲しいものだが。
まぁ、ギロチンの刃を下ろす側にも都合があるのだろうけれど、それがその人たちの仕事である。
死刑がなくなるのならそれも仕方ないか。どうせ使われないギロチンなぞあっても無駄だ。
その果てに起こるであろう残虐な現実を受け入れて欲しいものではあるが。


刃の錆びたギロチンに価値があるかと言われれば、誰が粗大ゴミなんぞ怖がるかって話だな。
どうでも良いか。どうにでもなっちゃえ。
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