流星の曲がり角

流星とは本来曲がるはずのないもの。それが曲がるって事はつまりブラックホールだよねコレ

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むじゅじゅじゅん

絶対は全てを含んだ上で、ただ一つ以外の全てを否定するもの。
絶対強者なら強者以外は認めず、絶対正義なら正義以外認めない。
あくまでも人間と言うフィルターが通るので、これですら絶対ではないかもしれない。

現実的に言えば食うか食われるか。結局言葉を変えてもその一点のみが事実。
例えばどれだけ卑怯と罵られる手をつかおうが、勝ちは勝ち。
矜持が云々と喚くのは観測者である人間だけ。これが所謂「負け犬の遠吠え」である。
どれだけ叫ぼうが事実は事実。

これはそれを物語ってる。
数が多かろうが、道具使おうが弱けりゃ負ける。これ以上の絶対は、多分ない。

更に言えば、この絶対には漠然とした「強者が勝つ」以外の法則性がとらえられない。
見た目貧弱でも勝てば強者で正義。ある意味、究極の結果主義。
まぁ、絶対がただ一つしか肯定しないのならば「弱肉強食」とそれに因んだ呼称のもの意外に法則性はないような気がするけど。

それでも人間は過程を考査にいれる。
勝者になる為の法則性を探し、それっぽいものを法則性と言いきり、現実との掏り合わせを経て限りなく絶対に近づこうとする。
しかしそれは絶対を模倣した、「絶対に"絶対"ではない自称絶対」にしかならない。
本物でないのに本物の要素を含んでいる皮肉。
ただ一つしか肯定されないのなら、他は絶対的な否定がされるのは当然。

何もしてないのに突然訪れた暴力に晒されて死ぬ。
因果関係が漠然としていてどこに原因があったのかわからない。
人はこれを「理不尽」と言う。



ACfAで好きな台詞を一つ。


「言葉を飾る事に、意味はない」


ウィン・D・ファンションと共同してORCA旅団のクローズ・プランを崩す際、彼女が依頼した文の一節だ。
どれだけ言葉を飾ろうと、彼女が正しいのであれば彼女は勝つ。
彼女が間違っているのなら彼女は負ける。
理不尽を嘆く彼女は偽善者かもしれないが、行動した偽善は絶対によって審判が下される。
結果はまぁ、プレイヤー次第なのだが(ダマレ

理不尽を嘆くのは人の常だ。何故、どうしてと言葉を重ねても答えは初めからわかりきっている事。
それを認めるか認めないか、納得するかしないか、好きか嫌いかは個々の意見なので端折らせてもらう。
往生際が悪いと言えばそれまでだが、逆にその往生際の悪さのお陰で存命する類もいるから世の中わからないものである。
要するにアレである。人類の天敵のGである。
あいつら個々を殺すのは容易だが、根絶やすのはどうにも無理っぽい。
単為生殖とか反則だろ自重しろ、と言いたいがそれでも勝てば良いのである。


まぁ要するに、ウィンDは諦めたくなかったのだ。
彼女の戦う理由には諸説あるが、子持ち説などが結構耳にするものである。
クローズ・プランがどれだけ人類の未来を切り開くべくしてあるとしても、彼女にも計画からすればちっぽけな守りたい何かがあったのだろう。
だから彼女は理不尽とも言えるクローズ・プランに対して足掻いた。
足掻いて足掻いて、それでも駄目なら理不尽とも言えるそれを嘆きながら逝くしかない。
それは敗者に下されたどうしようもない事実であり、現実であり、勝者への賛辞である。

「正義の味方」とは勝ち舟に乗るもの。正義を語るものに賛同するもの。
要するに「勝てば官軍」である。誰だって勝ち舟に乗りたいのだ。当然と言えば当然である。
正義の味方だろうが裏切り者だろうが、勝てば良いのだ。
敗者は沈む。それだけ。

例えとしては宗教の聖典が「自称絶対正義」(後述)
それに盲目的に信仰する輩が自称正義の味方。
しかし個人的に聖典自体には悪意がないとは思っている。要は使いようと言うやつだ。
ぶっちゃけ、ある事自体に意義が在る。それ以上はいらない。



ここまで散々「勝てば良い」とか言っておいてなんだが人である以上、矜持とかの美学も必要だとは思うのだ。
それは理不尽を加速させるエッセンスであり、理不尽を受け入れる為の処世術だ。

しかし勝者において矜持とは自己陶酔を加速させるとても美味しい泡麦茶であり、現実と理想の落差を感じて勝者でありながら敗者の気分を味わう苦い泡麦茶である。
本当の偽善者とは足掻かないものではなく、明らかに灰のものを独自理論で白と言いきるもの。

どれだけ「お前、それ偽善じゃね?」と思っていようが、そいつが勝ったのならそいつが正義なのである。
勝った上で偽善を語るならば自身が得た「現実」と言う勝利と、夢見ていた「理想」と言う仮想勝利の狭間で喘ぎ苦しむのだ。
その上で更に自身の夢見る形の勝利を求める。

だが、自身が望んで得た結果で納得しないものは、どこまで行っても納得出来ないのだ。
妥協する事で納得出来ればそれで良いのだが、妥協しても納得出来ないのであれば救いようがない。

結果、そいつは誰よりも勝者であるはずなのに敗者と言う、絶対的な法則に対する冒瀆を働いている。
これが所謂「自称絶対正義」だと思う。多分。


だが、これにも絶対的な法則は作用している。
勝者でありながら敗者であると言う事は、つまり絶対から与えられた勝利を勝利と認められないと言う事だ。
絶対が絶対である以上、僕らの基準は"絶対"に則って定められている。
「勝っていない」と言う事は「負けた」と言う事だ。絶対は常に勝つか負けるかしか提示しない。
何に負けたのか。理想の自分にだ。
理想に負けると言う事は、今現在の自身を否定するという事だ。
理想を体現できなかった自身に負けた、自身に対して決して妥協しない姿勢。

絶対的な勝利を敗北として自己否定する。
人はそれを「矛盾」と言う。


しかし、この矛盾があるからでこそ絶対は絶対なのだという証左になる。


「"絶対"によって決められた結果ではなく"理想の自身に負けた結果を絶対"と断言し、絶対はその姿勢を否と断じて絶対的な敗者とする」


自称絶対正義は正しくない。
どれだけ絶対が戦いの結果に勝利を与えようが、正しくないのだ。
だから絶対はその妥協しない姿勢を許さない。
絶対の名において勝利してもなお敗者で居続けるものには「徹底的な敗北」という応酬でもって結果を与える。
絶対の名において「結果的な勝利」を得る事は出来ない。
もし勝利する事があるのなら、それは自身の理想に勝った時だ。自分自身に納得出来た時。

「勝ちながら負ける」と言う矛盾の許容。
よくあるパターンには、「勝負には勝ったが、作戦は失敗=敗北した」とかか。
「機動戦士ガンダム第08MS小隊」のグフカスタム戦がこれに当たる。

「勝っても負けたと言うのなら、未来永劫敗者でいろ」

つまりこういう事ではないだろうか。
どこかで折り合いがつけられるならば、どれだけの傷を負おうが未来永劫の敗者から脱する事は出来る。
折り合いのつけられない我侭は容赦なく敗者認定される。






・コメント返信とその他

>MASAさん
違いが正直わからない上、どうでも良いってのが本音だよね(
マイクロソフトの悪い所は本体自体のバージョンアップを物理的にやる周期が早いのと、それを前提にした開発をしちゃう所。
PSPなんかだと別にPSP-1000でも2000でも大差ないし、機能的にもワンセグ見る気ないなら同性能と言いきっても無問題。
箱○だと初期ロットの熱暴走祭が印象強すぎて敬遠しちゃうよね。
今はそんなでもないみたいだけど、これからの季節が暑いぜ熱いぜー!



そう考えるとエミヤは色々と負け犬すぎる(
自分自身に納得出来ないだけでなく、自分でない自分を殺すとかあんた。
確かに衛宮士郎は矛盾している。自身の正義に納得せず、与えられた勝利でなお敗者で居続ける。
だからでこその「勝利すべき黄金の剣」と「約束された勝利の剣」か。
正義であるならば勝利すべきで、正義であるなら勝利は常に約束されている。
それが作られた贋作だとしても、「徹底した敗者」というそれを成立させる為の勝利を与える。
セイバーと言う絶対的な勝者を立たせる為の徹底した敗者。それが衛宮士郎か。
そうなれば桜に対しては逆パターンか?



桜の場合は敗者にして勝者になった。
聖杯と言う勝者にとって代わる黒い聖杯と言う自称勝者。
その自称勝者を敗者だと気付き、更に敗者から勝者への転化をしたのか。
「櫻の季節」では敗者として戻った桜の末路。延々と士郎を待つ敗者への応酬。
自称勝者を謳った代償は大きかったと。

「ヘヴンズフィール」では自称勝者から負けを認めての敗者→勝者か。
一番の問題はルールブレイカーで「この世、全ての悪」との縁を切った時点ではまだ敗者だった事。
凛を刺して絶叫した時点で自称勝者から敗者に戻ったのは確かだと思うんだが。

桜が勝者になるには敗者である事を認める事と、更にそこから絶対に勝者認定される事か。
どこで勝者認定されたんだろうか。イリヤの存命是非?

黒い聖杯崩壊時点でイリヤが生きているとイリヤのが勝者。
本来、聖杯として成るのはイリヤで、それは彼女にとって受け入れなければならない理不尽だったんだから。
それに勝った以上、聖杯になれなかった桜は敗者か。

そんでHFではイリヤが士郎の為に黒い聖杯を白い聖杯で封印した。
ついでに士郎にほんの少しだけの「勝つかもしれない勝負」をさせた。
結果として士郎はまぁ、妙な事になったけど存命して勝利し、イリヤは自ら敗者になった。
絶対からした場合は自ら勝負を投げたけど負けを認めたから負けって事だな。
そんで桜は勝者になったと。罪は消えないけど聖杯と繋がったままだしな。

桜が勝者になるには他者の恩恵と言うか、運の要素が強いな。
ただまぁ、運が強いという事は絶対から見た勝者だからしょうがないな。
運が悪いと敗者。運が良いと勝者。
納得出来ない人が多いのも仕方ないわ。

理不尽と矛盾ってのを一番体現してるな、桜は。だからハブされちゃうんだよ。
でも素敵です(←汚染済み

というか桜好きは皆矛盾好きなのか?

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