流星の曲がり角

流星とは本来曲がるはずのないもの。それが曲がるって事はつまりブラックホールだよねコレ

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自身の肯定と正義の矛盾

二時間くらい書いてたけど長すぎていらない部分消したら半分以上消し飛んだ(


本題行こうか。





正義なんてどこにもなく、どこにも溢れ、軽くもなければ重くもない。
正義の使い方は幾つかあると思うが、

・正義の味方
・正義に自己陶酔

大体この二つだよね。
自分が正義側にいないと気がすまない奴と、正義の中にある矛盾に気付いて、それを無視する為に陶酔するパターン。


あぁ、因みに僕は絶対正義好きですよ(撲殺
それ以上に矛盾を孕みながら貫き続けるものを僕は知らない。
矛盾を矛盾と認識せず、狂ったまま正常の中に在るそれより人間らしいものがどこにある?

もう少し言ってしまえば、余程の事でなければ人に対して好きとも嫌いとも判断しない。
判断する程の価値があるかどうか、その段階で止まる事の方が多い。
そりゃ、首絞められれば嫌うけどな。
だからでこそ二極化したものが憎らしくも愛おしい。
なんて羨ましいのか。なんて醜いのか。なんて美しく、妬ましいのか。

で、こんな事言ってる自分自身も矛盾する。
絶対正義は好きだが、害があるなら排除する。志向としては嫌いではないがな。
好きだけど、嫌いじゃないけど排除する。おかしいね。愛してるなら喜んで害も全て受けるべきでしょ?
ほら、おかしい。矛盾した。破綻した。偽善どころじゃない。

でもね、そんな自分が大嫌いで、それでも排除したくないんです。また矛盾した。
惰弱? 情弱? 良いね、もっと言ってみてよ。

自己正当化? しない奴いるの?(ダマレ
問題は、自己正当化した時にどれだけ矛盾を突き詰めて、どこまで矛盾をなくせるか。自分で解釈するか。
傍からすれば面倒なタイプだよね。自己完結型。自己中心的。
で、そうでない人間っているの? 自分は例外だぜって思ってるお花畑な人って不幸だね。
矛盾を突き詰める、そんな面白い遊びを知らないんだもん。タダだぜ? 道具いらないし。

こんなものが正義とやらの根幹にある感情ではないかと思う。
自己完結と自己満足、自己正当化。この三つは外せない。
厄介な付加要素として自己陶酔なんてのもある。


正義ってのの対義語がどんなかは知らんが、碌なものでないのは想像に難くない。
正義って言うと良いイメージばっかだけど、物事には常に表裏がある。
その表裏を考えた時、正義を手放しに賞賛出来るものなのかと言われればNO。
だけど正義を求める人間は多い。何故かって言うと思考を放棄出来るから。
どこぞの誰かが決めた基準に乗ってしまえれば楽だよね。自分で土台から構築する必要ないし。
万人向けの正義がないと言うのに、何故人任せにしてしまうのか。おかしいね。

考え方が同調するって事はありうると思うが、あくまで同調であって同質ではない。
ならば、それはただの思考放棄だ。
元となった部分は別に善悪どっちでも良いのだが、思考放棄してしまうのはよろしくない。お節介だが。

ならば正義の基準は個々で異なると言う事までは簡単にわかる事だ。
自分と全く同じ思考回路を持った人間がいるかと思うと、さすがに気分が悪い。
ほら、矛盾した。自分を愛してる駄目人間なのに、自分と相対して気持ち悪いんだってさ。

ここでまた自己正当化が働く。
「僕がオリジナルなんだからコピーを排除するのは勝手だろう」ってね。これは一例だが。
もしもそれが存在したとしたら、オリジナルかコピーかなんてどうでも良くなるのにね。
自己正当化が働くには自己嫌悪が一番良いスイッチになる。大抵はそれでスイッチが入る。

正当化の裏には嫌悪。
当然と言えば当然だが、幾らどれだけ悟っても、多分自分自身が目の前に現れて嫌悪感を抱かない人間は相当少ないと思う。
それはつまり、自分を偽る自分への不満だ。
それを解消する為の自己満足。
その思考を打ち切る為の自己完結。

これまた当然だが、この手の思考パターンは長引くと矛盾が更に矛盾を呼んで収集がつかなくなる。
だからそれを打ち切ってしまう自己完結。
自己完結する事で自己正当化と自己満足がループする。
このループ状態が所謂「自己陶酔」って事かな。
完結した中で正当化して矛盾を見てみぬふりをして、それで満足したと自身を偽る。
それで消化出来れば良いが、消化出来ないと未消化の矛盾と言うウィークポイントが出来る。
それを突かれるとまぁ、キレてしまわれる訳ですね。

で、ここまで行くとただの自身への狂信だよね。
正義の対義語は狂信か。まぁ、当然っちゃ当然だわな。

この狂信とやらが表面化すると、所謂暴徒と化したり宗教の中身をやたら勘違いして人に食ってかかるタチの悪い連中の集まりになる訳です。
マジでタチ悪いわ。



ここまで考えて思ったのは正義の在り方と言うか、どこまでが正義でどこまでが狂信なのか判断がつかないって事だ。
思ってるだけなら誰でも出来るし、それを表面化させてしまった事が全て暴徒と言う志向性を持つなら正義は語るものでも行動に移すものでもない。
それこそ裏でこっそりと、慎むようにやるようなものって事だ。

ささやかな、最小限の影響力で行う事が正義なんだろうか。
常に心においておくだけのもの。という解釈が綺麗な形になるのかな。


逆に正義を表面化しなきゃならないって事は自己完結リミッターが外れちゃうって事だな。
その時点で意味が反転するのならば、結局現実には反転した正義しか溢れていないって事か。
個々によって比重が違うのであれば、表面化した時の被害だとかがその気持ちの力なのかな。
という事は、なさすぎても駄目だけど、ありすぎても駄目って事か。
自制心って大事だね。
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