流星の曲がり角

流星とは本来曲がるはずのないもの。それが曲がるって事はつまりブラックホールだよねコレ

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矛盾による矛盾への救い

平和ってなんぞ。





戦いのない世界はありえない。それこそガンダム00が示した「わかりあう」事での解決も万能ではない。
その抑止力としてのガンダムだが、毒は毒を持って制する他になく、武力は武力によって鎮圧される。
「武力による紛争の根絶」ってのは、つまりただの理想にすぎない。
理想は理想であるからでこそ美しく、偽善であろうと思い馳せる。
が、それが現実に投影された時に人は拒絶する。

Fateの衛宮士郎がまさにそれだ。全てを救う正義の味方なんてあり得ず、結果できるだけ多くの人を救う道を選んだ。
正義の味方は味方した人しか救えない。それが嫌でも現実で、心折れた復讐鬼が英霊エミヤ。


洗脳され、両親を殺し、絶対絶命の中でガンダムに助けられた少年、ソラン。
全てを失い、燃え尽きかけた命を「正義の味方」である衛宮切嗣に救われた少年、士郎。


似て非なる二人だが、目指すものは同じだと思った。
どちらも戦う事しか出来ず、つまりそれは戦場を欲するのと同じだ。
ソランが刹那として戦争を憎み、例え憎まれようが恨まれようが戦う事を決めたのと、
士郎がひたすら真直ぐに、裏切られようとも多くの人を救うために戦う事を決めたのは、
結局同じ事だ。
だって誰かが笑っている世界が欲しかったのだから。
自分はもう幸せの輪に入れない事を覚悟の上で決めたのだから。

結果、刹那は仲間と共に世界の抑止力となり、
結果、士郎は英霊として世界の抑止力となった。


だが果たして、この二人の行き着く先に平和があるのだろうか。
笑顔を絶やす事のない世界が構築し続けられるだろうか。
戦争のない世界がないと言う事は、抑止力の役割は終わらないという事だ。
戦う事を止めた時、人は、人類は成長を止める。
結果としての壊死なぞ、救いでもなんでもない。

戦う事を止められないのは仕方ないが、無闇に戦えば良いと言うものでもない。
所謂「人は歴史を繰り返す」状態から脱せねば、抑止力の存在も揺るがない。
人類の最終到達点にして、絶対に到達してはいけないのが抑止力の消滅。

だから英霊エミヤは絶望した。いつまでも変わらない人類に、世界に、自分自身に。
だから変えようとした。過去の自身を殺す事で。

刹那は夢の中で戦いを、銃を捨てたがっている描写がある。
一度目はマリナに本名を呼ばれて銃を落し、二度目は過去の、両親を撃とうとした自分から銃を取り上げた。
だが、現実は変わらない。過去は変えられない。
響く銃声と、手の中にあったはずの銃は、やはり過去の自分が持っていた。



だからまず、自分自身を変革する必要があった。



ガンダムは兵器だ。人殺しの道具だ。
だが、本当にそうなのだろうか?
自分は破壊者だ、殺す事しか出来ない人でなしだ。
だが、本当に壊す「だけ」しか出来なかっただろうか?
単純な疑問だ。
「紛争根絶」を体現するガンダムと言う機体が矛盾で満ちているのは誰がどう考えても明確だ。
戦争の為に兵器を投入する。恒久和平の名目の下に人を殺す。
こんな事では憎しみのループを生むだけだ。

確かに自分は破壊者で、人殺しで、どうしようもないかもしれない。
けど、自分が幸せになる事を放棄すれば一人くらい救えるんじゃないだろうか?
その為の大罪も、全て自分が受ければ良い。それで誰かが救われるのなら。
ここにきて、衛宮士郎と思考が同調している。自己犠牲による他者への救い。

矛盾した「ガンダム」と言う機体にソランは救われた。
矛盾した「正義の味方」と言う理想に士郎は救われた。

矛盾から始まった理想が、矛盾したままなのは道理ではないだろうか。
そして矛盾し続ける人類には、矛盾した理想を持った人間が必要なのではないだろうか。

例えば「戦争は恐ろしい事だ、止めるべきだ」と言いながら核を保有する国。
大した矛盾だし、事実突かれている。
だが、だからでこそそれは抑止力になる。


兵器とは人殺しの道具ではあるが、抑止力にもなる。
僕が誰かを撃ったとして、果たして僕が悪いのか。それとも銃が悪いのか。
道具に善悪の志向性はない。
そこに込められた気持ちが矛盾していたとしても、道具を使うのは人だ。
まぁ、だからでこそ。


あぁ、悲しいな。彼らは彼ら自身の願いに縛られ続けるのだ。


そしてその願いは、人が少なからず思っている事だ。
第三者が悪者になった方が都合が良い。
誰かに責任を擦り付けれた方が楽だ。

それは逃げ? 違う。逃げ道がある事が悪いのではなく、逃げ道を使う方が悪いのだ。
自ら退路を断つと言うのはある意味最大の逃げだ。
そしてこの二人は自ら退路を断った惰弱な人間だ。
だがそんな惰弱であったとしても、たった一つの願いを叶え続けようと足掻く事は出来る。
退路を断って退く事なんて出来なくなった、だけどその場でうずくまるなんて許せない。
だから進むしかない。どれだけの痛みを伴っても。

はた迷惑な話だ。心底思う。
巻き込まれた側はたまったものではないだろう。
だからこの二人は正義の味方でもなければ、可哀相な紛争孤児でもない。

ただの抑止力。人のタガが外れ、人であって人でない人でなし。
だが、だからでこそ必要なのだ。外道に落ちた人間がいなければ、成道を行く人間はいなくなる。


でも、そんな彼らの幸せを願う人が一人くらいいても、バチは当たらないと思うのだ。





嗚呼悲しいな、悲しいな。
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