流星の曲がり角

流星とは本来曲がるはずのないもの。それが曲がるって事はつまりブラックホールだよねコレ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |

かみさまのありかた

神って概念は一体なんだろう。
有名どころではイエス・キリストとか絶対神アッラー辺りか。
彼らはどちらかと言えば神聖視されているだけで、所謂「人の願いを叶える神」ではないような気がする。
偉人だから崇めましょう、みたいな。

宗教と言うか、信仰と言うのは基本的に「自分が救われたい」から祈るものだ。
既に死んだ神、偶像、過去の偉人に幾ら祈ろうが叶えられないのは客観的に考えればわかる事でもある。
が、それでも人は神を信じる。

最初に戻るが、「神」と言う概念の根幹にあるものは何だろうか。


それは「究極の人」である。


神様と言うと全知全能の素敵に無敵なナイスミドルというイメージが強い。
人の命運も、偶然も、全てを司る絶対的存在。それが「神」。
だが、それはついに人の形を脱する事がない。
木の又から生まれようがなんだろうが、人の形をしている。
おかしくはないだろうか? 全知全能ならば別に人の形に拘る必要はないのだ。
日本で言えば八岐大蛇あたりが結構有名だが恐怖の代名詞でもあり、しかし神聖なものでもある。
人の形をしておらず、ついには河になる。

突き詰めれば、「神」とは「そうでありたい人間の姿」だ。
いもしない存在が願いを叶えるかと言われれば、正直叶わないと思う。
全知全能の神に祈り、そのおこぼれをもらう。救いがあるとは思えない。

ならば、どこに救いがあると言うのか。


前記した通り、「神」とは「人の願いの結晶」だ。
つまる所、「人=神」と言える。
人から生まれた願いが人を救う。どちらかと言えば、こっちのが現実味がある。


昔、引っ越すときに幼稚園のシスターに言われた言葉がある。少しうろ覚えなんだが、

「神を信じるかは貴方の自由。貴方の行く先に幸がありますように」

当時の自分は神を崇拝していた、と思う。神様の存在を信じて、毎日お祈りしてた。
だから敬虔なクリスチャンであるシスターの一言はとても意外だった。
だってこれ、「神を信じなくても良いんですよ」って言ってるんだ。
盲目的に崇拝するのではなく、貴方の自由になさいと。
それでいて、その人の幸を願う。


誰かの幸せを願う事が祈りなのではないだろうか。
その誰かが幸せになれば、幸せになれるのであれば、人は業にまみれようと生きて行けるのではないだろうか。
神とは人である。
祈る対象であるその人の幸せを願い、その願いが叶った時に自分が救われる。


鋼の錬金術にこんな台詞があった。

「小さな一が集まって世界と言う大きな流れを作る。
だから負の感情が集まれば世界は負の流れになってしまう。
逆に正の感情を集めて世界を正の流れにする事もできる」

誰かの幸せを願う「正」の感情を連鎖させる。
「神」とは、この流れを作るために創られた人の願いの結晶なのではないだろうか。



ま、要約すると「勧誘してくる宗教は一度頭の中洗いなおせ」って事なんだが(銃声

この世界を変えるには、神ではなく己の意思が、誰かの幸せを願う祈りが必要だと思った。



さて、人類終了まであとどれくらいですか?

スポンサーサイト

未分類 | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<デルタ | HOME | TYPE-HOGIRE>>

この記事のコメント

コメントの投稿















コメント非公開の場合はチェック

この記事のトラックバック

| HOME |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。