流星の曲がり角

流星とは本来曲がるはずのないもの。それが曲がるって事はつまりブラックホールだよねコレ

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真理と心理の異口同音は素敵だと思った

風邪ひいて色々考えてたら訳わからん事になったので書いて置こう(
例によって微妙に鬱……なのかこれ?



前から思ってたけれど僕は何なんだろうと。
この場合は物理的、人間的な意味で。

まず、『僕』と言う自我がある。
んで、『僕』を『自分』と認識してここに在る。

けどこれって本当の事なのか。
『本当に自分自身が今ここに在る事の証明足りえるのか』と言われると、『NO』です。
何故かって言われると、まず『自我の存在を証明する必要がある』からです。
んじゃ、自我がないのかって言われると、『在る』。
けれど、これは本当に独立した一つの意思として成っているのかと言われれば、多分『NO』。

しかしそれすらも、『NO』。
証明しようがありません。
なら、何故そう思考するに至るのか。


大体がだ、矛盾してるんだ。
自身の証明をする為に、自身の証明をする。
これじゃ堂々巡りで意味がない。
んじゃ、証明する必要があるのかと言われるとぶっちゃけ困る。

つまり、自分自身が自分自身でない感覚なんだな。


中学の頃だ。
あの頃ふと『どうして僕はいるんだろう?』と疑念を抱いた。
多分、誰でも一度は考えるだろう。『この世界ってなんだろう?』って。
宇宙があって、太陽系があって、地球があって、親がいて、僕がいる。
それを当たり前の事象として認識している。

認識している、だけなのだろうか?
『事実そうだからそう認識している』のか、『産まれた時からそうだったからそう認識している』のかがわからない。


何故、生きている?
生物の根底にあるのは生存本能。
それに突き動かされて生きているのなら、それを持つに至った経緯は?
そして、それに従わざるを得ない理由は?
何故生物として在るのか、何故個体として在るのか、全てわからない。


多分、考えても答えは出ない。
何故ならその『答え』は『生物が出してはいけない答え』なんだろうから。
神様とやらがいるとは思わない。
いたとしても、宗教で崇められるような崇高な存在ではないはずだ。

ンなこたぁどうでも良いんだ。
僕は一体何なのか、何故いるのか。

『理由を求める必要はあるのか』と言う問いかけすらも『問う必要があるのか』と疑念を抱く。


よく先輩に『お前、変だな』と言われる。
そりゃそうだ。
思考回路がまずおかしいんだ。
皆が放棄する事を、気にも留めないような意味のない事柄を馬鹿みたく延々と繰り返す。


世界ってなんだ?
僕が見ている、僕が立っている寝ている座っている此処が世界か?
僕は僕の視点でしか世界が見れないから、事実上世界は僕を中心に回っている。
歯車の一つなのか、歯車の集合体なのか。
歯車の一つなら、僕がいなくなる事で世界は止まるのか。
あぁ、止まるな。
だって世界を観測している僕自身が停止するんだから、それは事実上消滅したと言っても問題ない。
じゃあ、歯車の集合体なのか。
内界は歯車、外界は?
無数の集合体が成しているのが世界なのか。
待て、それじゃ世界ってなんだ。歯車がただ回ってるだけか。
否、歯車の集合体ですら歯車の一つでしかないんだ。
だけどそれは絶対的に必要な歯車ではない、と言う事。

絶対的に必要じゃない?
なら『必要な歯車』と言うのはなんだ、『人間』と言う種か。
人間と言う種が歯車の一つで、それを構成する個人は絶対的に必要と言う訳ではない?
だけど個人個人の存在で成り立つ種からすれば、個人は必要なはずだ。
あぁ、そうか。
『過分』なんだ。

備えあれば憂いなし、とは言うがそれを種族単位で行っているのか。
だけど待て、それじゃ僕個人の存在を肯定出来ない。
過分って事は在っても無くても良いはずだ。
だって過分って言うのは必要数以上に在るって事だからだ。
けど在る。
此処に在ると言う事は、必要数に含まれている?
けど、絶対的に必要じゃない?
僕は何だ、必要として欲しいのか?
期待されるのが嫌いなクセに。


あぁ、もう駄目だ。
やっぱ答えは出ない。
大体、目的と手段を履き違えてるんだ。
手段は証明。
目的は肯定なのに、手段が肯定前提なんだ。
そりゃ答え出ないわ。うん。
でも答えが欲しいんだ。
その為には個人の意思、自我を失わないといけないのか?
それじゃ本末転倒だ。

外界である世界の証明をしないと、僕自身と言う内界の証明が出来ない。
けど、外界を証明する為には思考回路、つまり内界が必要。
これじゃ矛盾してしまう。
だから先に自我の証明をしないといけないんだけど、これには世界の証明が必要。


なんてこった、二律背反なんてもんじゃねぇぞ。
これじゃ答えなんて出すまでもなく『無い』んだ。
無いものを探してるのか?
けど無いなら認識する事は出来ないはずだ。
無いなら意識する事がありえない。
じゃあ在るのか?

在る事が証明足り得るのか。
うん、駄目だ。堂々巡り。出口のない迷路を歩き続けてる。

矛盾に矛盾を重ねてるんだ。
打開する術がわからない。

その術の探し方もわからない。
駄目だ、こりゃ。

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