流星の曲がり角

流星とは本来曲がるはずのないもの。それが曲がるって事はつまりブラックホールだよねコレ

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"生きる"ということ

ってなんぞや。
進化の果てにあるのが死であり、ならば過程に意味はない。
それでも生きようとする理由はなんぞ。

生まれた以上生きようと足掻くのは自然な現象だ。
でも何故生まれるのか。生まれて何をするのか。
矮小な人間風情がわんさか集まって数え切れない程死を積んでなお、何故進化するのか。
何故死に急ぐのか。

死ぬ為に生きているのか、生きているから死ぬのか。
終わりが決まっているから始まりがあるのか、始まるから終わりがあるのか。


有限と無限と聞いて、思い浮かべるのは線だ。
線分は片方の端が決まっていて、直線は端がない。
だがここで疑問が残る。

片方の端を「始まり」とすれば「終わり」は無限になる。
つまり線分であろうが直線であろうがどうでも良いのだ。
否、直線は「始まり」が明確でないが故に曲線を描く事も可能で円環を描くのか。
ならば終わりがない。
単体で完成している生命体は未だ確認されていないし、いるとしても造物主とやらだろう。

宇宙にも終わりがあると言われる。
その過程にどんな意味があるのか。
そもそも始まりはいつなのか。ビッグバンの前には何があったのか。何もなかったのか。
それこそ別世界と円環を成して、その直線の中の点にすぎないのか。


確定している死には何の意味があるのか。
ただ始まりに還るだけなのか。

前の円より大きい円を描くのか、小さい円を描くのか。
とんだ茶番だ。



思考がスパークしそうだ。この回線を開くのは難しい。
人間では開いてはいけない回線なのか。開ける回線なのか。
当たり前の事が当たり前の事に思えない。
そうか、エヴァンゲリオンの補完だ。あれがそうなんだ。
死と言うカタチで一つの完成された生命体に昇華する。

死の果てに何もないのならば、死んだものは全て同一だ。
それを目指すのか。だが待てならば何故「生きる」というプロセスを踏む必要があるんだ。
初めから完成された生命体であれば問題がないのではないか否。



加工プロセスだ。
設計図を創り、型を造り、鋳込み、加工して組み立てる。
完成形に至るプロセスは多岐に渡るが、その過程に「生きる」と言う要素が必要なのか。
「生」がなければ「死」が生まれない。故に「生きる」と言う過程を経て「死に」、「完成形」を目指す。

しかしそれでもおかしい。人間がどれ程死のうと、完成形を観測出来なければ意味がない。
完成形があるからでこそ「生きて死ぬ」必要があり、そこに意味があるはずだ。
完成してしまえば人間は人間でなくなる。ただの死の集まりにすぎない。

だとすれば「」になる。最初だ。それで終わる? 全て? そして始まる? 世界が?
今の地球から人間が消える時は地球環境が絶望的な状況になっているはずだ。
そして宇宙にも死がある以上、世界は終わる。
終わって、死をもって生を成す? 無限に世界を続ける? 何故? 続ける理由はどこにある?
エネルギー保存の法則? 
ブラックホールはなんだ? 
エネルギーが「外」に漏れればつまり―――








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この記事のコメント

進むも地獄。戻るも地獄。
しかし、例外的に足を止めて前を向くのが地獄ではないと言う。
ただ、あまりにも遠くを見すぎると目が疲れるように、
程々に遠くを見るのが一番良い。


だから、ただ幸福を甘受しようとするならそれが一番正しい。
考えたって意味が無いと言える人生が一番正しい。
2008-08-21 Thu 23:34 | URL | cj #-[ 編集]

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